岡本茉利さん雑誌記事紹介
(演劇グラフ2012年7・8月号)

雑誌記事紹介と言う事で、大衆演劇雑誌『演劇グラフ』誌2012年7・8月号に掲載された
岡本茉利さんの対談記事を紹介いたします。
ホストは岡本さんの大衆演劇における師匠である言わずと知れた沢竜二さん。
沢さんがホストと言う事もあって、岡本さんがこのコーナーに登場したものと推測されます。
岡本さんの受け答えは、持ち前の生真面目さを随所に感じさせつつも、
時には結構大胆な部分に踏み込んだりしていまして
芸歴を重ねた岡本さんの本音が知る事が出来る貴重な場となっています。



  1. デビューのきっかけ
    6歳の頃に住んでいた大阪の枚方の家の前に映画『喜劇 団地親分』のロケが来た際
    人だかりに混じって見ていたら
    「この娘をお借りしたい」

    とすぐに出されたのがデビューのきっかけとなったそうです。
    ちなみに、この時の岡本さんの役所は事故に遭いそうになる所を助けられる園児役だったそうです。

  2. 『メイム』の光と影
    『団地親分』出演後、京都の児童劇団ポニーを経て、
    小学3年の時(1963年)にNHK大阪放送児童劇団に入団。
    その後、小学6年の時(1966年)に
    ミュージカル『メイム』の越路吹雪さん演じるメイムの甥の少年パトリック役に受かる

    と言う大きなチャンスが巡って来ます。
    ところが、NHKの児童劇団は他社出演は厳禁と言う事で
    『メイム』出演の代償として、児童劇団は辞めざるを得なくなってしまったと言います。

    岡本さんは辞めざるを得なくなった時もショックを受けたそうですが
    『メイム』の後にNHKで仕事をした際、
    児童劇団の人達が遠巻きにいて、前のように気軽に話を出来なかった事
    も辛かったそうで
    当時は犯罪人のような重荷を背負った感じの気持ちを抱えていたとも語っていました。

  3. 越路吹雪さんの思い出
    『メイム』の公演中は、学校を途中で抜けて梅田コマ劇場に行く生活をしていたそうですが
    夏休みに越路さんから「家に遊びにいらっしゃい」と誘われ
    当時、越路さんは別の舞台の稽古で忙しかったものの
    ご主人の内藤法美先生に映画や遊園地に連れて行ってもらっていた
    そうです。
    そのように可愛がられた岡本さんは
    何と越路さんに「養女にならない?」と言われたそうですが
    岡本さんご自身が一人っ子だったのと
    「養女になっても演劇は続けたかった」
    事から実現はしなかったようです。
    当時、越路さんに可愛がってもらっていた事を
    岡本さんは一生分可愛がってもらったのかな?と今では感じているそうです。

  4. アニメと映画デビュー
    アニメデビューは『メイム』で知り合った方を通して、オーディションに行ったのがきっかけ
    映画デビューも『メイム』で知り合った方(同一人物かは不明)が
    (『男はつらいよ』の)プロデューサーに写真を送ってくれた事がきっかけだそうで
    この後、山田監督に引き合わせてもらって、大空小百合役で登場する事になったそうです。

  5. 渥美清さんの思い出
    大空小百合を初めて演じる事になったものの、緊張していた岡本さんに対し
    寅さん役の渥美清さんは「五分と五分に芝居をしましょう」と緊張をほぐすように言って下さったそうで
    岡本さんは今でもその言葉を思い出すと言います。
    また、渥美さんは当時
    旅芝居のイメージが「4歳か5歳頃に見た、凄く綺麗な方が切腹するシーン」位しか無かった岡本さんに
    「ちゃんちゃんこ着るといいですよ」とも指導して下さったそうで
    前述の越路さん同様、岡本さんは可愛がってもらったそうです。

    そして、平成3(1991)年に沢竜二さん不在で座長大会を行った際、渥美さんが谷幹一さん、関敬六さんと一緒に来られて
    客席から「茉利ちゃん、日本一!」と大きな声を掛けてくれた時が
    渥美さんと会った最後になったそうです。

    また、昨年(2011年)岡本さんが愛媛県で行われた竜劇隊の公演に出演した際、
    瀬戸内海から見える鹿島と言う島に、渥美さんがよく訪れていたと言う話を知り
    その時岡本さんは、以前渥美さんに言われた

    「いつも見ているからね。ずっと続けていってください」と言う言葉を思い出すと共に
    何だかコスタ北条の客席に渥美さんが見に来て下さっているような気がした
    そうです。

  6. 印象的な男はつらいよのシーン
    渥美清さんの映画で一番好きなシーンとして岡本さんが挙げたのが
    『続・男はつらいよ』(第2作)でミヤコ蝶々さん演じる寅さんの母親と
    渥美さんの寅さんの掛け合いと言うか親子喧嘩のシーン

    この「寅さん版・瞼の母」とも言えるやり取りを岡本さんは本当にすごいなぁといつも思っているそうです。


  7. 沢竜二さんとの出会い
    NHK大阪放送児童劇団時代に岡本さんがお世話になったドラマの演出家の方が、
    沢さんの母親の女沢正を描いたドラマ『あほんだれ一代』の製作に関わっていて
    そのドラマを見て、岡本さんは初めて沢竜二さんと言う俳優を知った
    と言います。
    (※ちなみに岡本さんご自身にも、もう少し年齢が上だったら妹役を…と言うオファーがあったそうです)

    その後、岡本さんは沢さんの舞台『終三十郎』(ジョージ秋山原作)への出演がきっかけで
    (※岡本さんの役所は、実は女だけど男に化けていると言う若小姓の役)
    沢さんとの長い付き合いが始まるのですが

    沢さんと出会った当時の岡本さんは
    子役の演技ではなくて、大人の役者としての演技をやって行きたいと考えていて
    外国で芝居の勉強をしたい等、色々と試行錯誤もされていた
    そうで
    沢さんから話をもらった時は、一から勉強するつもりで出させてもらったと言います。
    実際に出演すると日本古来の様式美もあるし、岡本さんの好きな立ち回りもあるし、時代劇もあるし
    岡本さんはカルチャーショックを受けると同時に
    「外国に行かなくても日本で勉強できる」
    と言う事に気付いたそうです。

  8. 悩みと励み
    大衆演劇に入った当初は「癖が付くよ」等々、色々な人に色々と言われたり
    岡本さんご自身も、ここで勉強しちゃいけないのかな?と考えたり
    時には辞めようと思ったり、答えが見つからないまま、大衆演劇を続けていたそうです。
    そんな岡本さんですが、2011年の震災以降、お年寄りの方も若い方も少しの間でも苦しい思いが消えて
    お芝居を見て喜んで下さる事が凄くやりがいがある事だと思えて来て
    今は、やり続けて本当に良かったと思えるようになったと考えられるようになったそうです。

その他、岡本さんの発言まとめ

東京で『メイム』を上演するから「あまり大きくなっちゃだめよ」
と越路さんがおまじないをかけちゃったんですね。だからそれ以上背が伸びませんでした。

越路さんの「初心忘るべからず」
渥美さんの「いつも見ているからね。ずっと続けて行って下さい」
沢さんのお母様の「芸人にうまいもへたもなかりけり。行く先々の水に合わねば」
この3つの言葉が血となり肉となるよう、これからも役者を続けていこうと思います。


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